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七里沢隧道 県道107号線(赤井畑国見線)

2017.02.05.Sun.23:11
以前からアタマにはあった七里沢隧道。
廃道や隧道好きの方なら割りと有名な場所であるため、多くの方が挑戦されてる場所。

しかし近年、徒歩や自転車による走破は見れるものの2輪でのアタックはあまり見られなかった。
これはスパイク長靴をオフブーツに履き替え行くしかあるまい!

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中山隧道

2014.11.15.Sat.01:36
日本一の手掘り隧道!

穴マニアとして行かない訳にはいかない!
そいつは新潟県長岡市と魚沼市の間、国道291号線の旧道にいる。

新潟県古志郡山古志村1956年(昭和31年)3月31日に4つの村が合併して誕生した。
その4つの村の1つ東竹沢村に属し山古志村の中でも最奥地に「小松倉」という集落があった。
山奥に存在した多くの村や集落がそうであったように、この小松倉集落も中山峠という峠を超えなければ生活が成り立たなかった。
この中山峠に小松倉にどれだけ苦しめられた事か。
特に昭和前期まで冬期は積雪は4メートルを記録し村人を苦しめた。


「よろしいならば隧道だ」



と言ったかは定かではないが、とにかく小松倉の人々は掘り始めた。
岩盤は固く、1日平均30センチ程度しか進めなかった。
途中、資材不足や村人の反対、戦争や食糧難もあったが1949年(昭和24年)5月1日の夕方貫通した。
現場は興奮、感激、歓喜、村人は皆抱き合ってボロボロ泣いていたという。
1933年(昭和8年)11月の着手以来、16年経っていた。
戦中戦後の休止期間を差し引いても13年に及ぶ大事業であった。
こうして全長877メートルの日本一の手掘り隧道が貫通した。

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稲葉隧道

2014.10.29.Wed.22:36
田んぼと十数戸の家がある稲葉地域と、集落の中心地域との間には大きな岩山がせり出している。その頂きは急斜面でその下は断崖をなし、裾は破間川に落ち込んでいる。
大半の村びとは稲葉の耕作地へ向かうために、その断崖の岩山の峠を越えるとか、断崖の直下の破間川の川べりに切った、細い道を通るしかなかった。

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旭隧道

2014.10.28.Tue.22:38
まずはその歴史のお勉強から

先住民族の生活した田川郷-。その後多くの先人が吉野屋部落の宝庫として私財を投じて開拓に苦心し、又振興策に努めてきたが、200~250mの急坂悪路を越えなければならず、しかも車は通らず、すべて人の背、牛馬の背に頼らなければならずその上4㎞以上の遠距離では不便極まりなく又経済変動期で自給農業以下低位農家は農外収入を求めて漸く生活を維持しなければならぬ状態であって、こうした宝庫への経営への余力はなくて祖先の開拓した田畑山林も荒廃に任せていた。

ならば!
ということで始まった総合地域振興策。
その総合地域振興策の中の「田川郷吉野屋部落直結林道(隧道)開鑿計画」が今回の旭隧道に関する計画だと思われる。

・隧道新設工事
延長869m幅員2m側溝両側0.5m掘鑿土量9134立方メートル 補装砂利置構造模型坑道(牛馬道)

1952年(昭和27年)10月23日起工
1954年(昭和29年)11月3日開通(資料内では1月3日との記載もあるが計画を見る限り誤植?と思われる)

有効総延長 779.66メートル

【参考資料】大面村村誌


それではいざ現場へ!
吉野屋集落を通り山道を進むと「旭隧道」が現れる。

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ん~いい穴だ!!


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間瀬隧道

2014.06.08.Sun.18:02
新潟県の旧巻町から海側、つまり間瀬側へ抜けるには弥彦山を超えなければならない。
現在は切通しにより山を抜ける道があるが、隧道ができるまでは山を超えるか海路を使って迂回しなければ巻や岩室側から間瀬側へ通行できなかった。
それが1933年にこの「間瀬隧道」が掘られ間瀬から巻、岩室への大動脈となる。

いつもの婆ちゃんの有り難い証言によると子供の頃、海へ行く時は必ずこの「間瀬隧道」を通って行ったそうだ。

ごく最近のモノと思われるラクガキがあったため地図は非公開にしました
またスズメバチの巣があります


現道と旧道の分かれ道

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