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間瀬銅山 ~飯場編~

2014.07.07.Mon.21:08
途中から来た方や検索結果から来られた方は「TOPページ」から読まれることをオススメします。

林道を進んでいく。
フラットダートでオフ車としては物足りないような道。

P6210025_R.jpg


道を進むと早速、面白そうな遺構が迎えてくれた。
これは!
鉱山遺構の索道か!


P2010102_R.jpg


って思うじゃん?
残念だったな、トリックだよ


この遺構は鉱山とは無関係。
これはかつて存在した「佐渡弥彦米山国定公園」の遊歩道の看板跡。
ただ周辺に見える石垣は鉱山関連のモノではないだろうか。

更に沢に沿って林道を進んでいくと廃屋が現れる。

P2010101_R_R.jpg


残念ながらコレも鉱山とは無関係のようだ。
でも案外荒らされて無くてちょっと嬉しい。
例のホワイトハウスとやらも酷い状態だったしね。

そしてここから少し進んだ辺りで、不思議な出来事を経験した。詳しくは「水路発見編」の最後にて。
この林道は沢にそって作られているのだが、その沢の対岸に瓦屋根の非常に古そうな廃屋を二軒発見した。


先へ進む前にココらへんで当時の様子を見て下さい。
ちょうどこれから歩く場所が選鉱場周辺と思われます。

image-006 t2_R_R


林道から少し脇道に入るとなんとも不釣り合いなモノが待ってる

デデ~ン!
火焔型土器~


P4270022_R.jpg

なんだこれ
あまりに周りの風景と不釣り合いな土器。いや一周して似合ってるかも。

イヤイヤ馬鹿にしてはいけない。
これ由緒ある遺構なのです。

実はコレ
1947年間瀬銅山跡にアトリエを構えた「早川亜美」という方が制作した作品。
この早川亜美氏スゴイ方で1963年に新潟国体の聖火台として火焔土器を作ったのです。
現在もこの火焔土器と同じ聖火台は新潟の競技場にも残ってます。

また新潟のシーサイドラインを走った事のある方なら誰でも知っているであろうコチラの観音像。

P6210195_R.jpg

この作品も早川氏が製作したものなのです。
ほらしっかり名前も載ってるでしょ。

P6210197_R.jpg

聞き取り調査によるとアトリエは沢に張り出すようにしてこの飯場跡に建っていたそうだ。
他にも周囲には早川氏と関係有るのか無いのか、もしくは後に登場する間瀬石と関係するのか色々な物が発見できる。

これは神社の手水鉢?
P4270021_R.jpg


これは切り出した間瀬石?
P4270023_R.jpg


これは・・・なんだろ?
P4270024_R.jpg


さて林道へ戻ろう。
おっ!

P4130264_R_R_R.jpg


巻き上げ機か何かかな?

P4130262_R_R_R.jpg

林道に戻ると左手に神社跡が見えてくる。
この神社は先述した当時の飯場略図にも記載がある。

P6210026_R.jpg


P6210031_R.jpg



年に一度の銅山祭りは毎年6月13日、14日の両日であった。
山中に御神燈を飾り夜景は賑やか。芸者や軽業師等が様々な催しを行った。
神社でも十二舞が舞われ、鉱夫達を楽しませたそうだ。

散策の安全を祈らせて頂いた。

P6210030_R.jpg


また毎年1月7日鉱夫の神、「八犬山金山彦大神」の祭りには、午後には仕事を切り上げ夕方に神社に集合する。
山神大神と八犬山に御神酒を捧げると夜中から夜明けまで山神社で飲み明かす。
そして翌日は1日休養する。
ちなみにこの行事は秋田、山形両県の鉱山でも行われていた。

そして、道を進むと林道と登山道(鉱山道)の分岐点が見えてくる。

P6210032_R.jpg


直進すると鉱山道路、現登山道だ。

P4270026_R.jpg


ちなみに夏場に来るとご覧のように割りと藪が濃くてちょっと大変。
特に蜂とか蜂とか蜂とか。

P6210034_R.jpg


歩き易くなって来た。
真冬は歩きやすくて良かった。
やっぱり夏はダメだ。見つけられる道も隠れた遺構も見つけにくくなる。

P6210191_R.jpg


道の脇に由来不明の不動明王があった。
神社と比べて新しすぎる気がする。

P6210186_R.jpg


ふと左手に微かな踏跡を見つけた。
半分よじ登るようにして登るとなにかを見つけた。

コレは鉱山従事者のお墓。

P6210187_R.jpg


裏に回ると
【明治三十二年 天明四拾五歳】
と掘ってある

P6210189_R.jpg


手を合わせて先へ進むと
なんじゃこりゃ!!
防空壕か? 掩体壕か? それとも本命の鉱山の坑道跡か?


P2010100_R_R_R.jpg

穴だ!穴があるぞ~
近づいてみるとこんな感じ

P2010099_R_R.jpg


後に調べてみた結果、これは「間瀬石の切り場跡」だそうだ。
残念だったな、トリック(ry
ただこの石切り場跡、後に重要な意味を持って再登場するので覚えておいて下さい。

この地は銅の他にも「間瀬石」が採れた。
なお、この間瀬石は明治2年に貿易の関税を行う「新潟運上所」の石庫にも使用された。
(石庫は画像の建物の横にある倉庫で復元前のモノに間瀬石が使われていたようです)

pho_1_R.jpg
※画像は新潟市HPより
http://www.city.niigata.lg.jp/shisei/koho/kohosasshi/johoshi/johoshi-vo.7/rekishitanbo/index.html

また現在でも間瀬の集落にはこの「間瀬石」で作られた蔵や塀が残されているそうです。

鉱山道沿いに歩いていると更に穴発見!

P5100248_R.jpg

人の腕が一本入る程度の穴だ
ライトとカメラを突っ込んでみると・・・

(゚д゚)!

P5100252_R.jpg

小さいながらも丁寧に石垣が組まれた人工的なモノだということが分かる。
この穴は銅山の排水口らしい。
小さな遺構ながらしっかり鉱山の痕跡を感じることができてテンションが上がる。
なお、夏場の発見は非常に困難で夏場に散策した際には再び発見することはできなかった(´・ω・`)

道をさらに進むと再び怪しい踏跡を見つけた
斜面を這いつくばるようにして進むと

なんだこれ?

P4120241_R.jpg

今度こそ坑道かと思い進む
なんだか古代神殿のようだ

P4120242_R.jpg

どうやらコレも石切場跡のようにも見える
切り出した際の跡だろうか、随所が階段上になっているのが分かる。

P4120251_R_R_R.jpg

底には水が溜まっているが不思議と匂い等はしない
どこかに排水されているのだろうか

P4120245_R_R_R.jpg

内部から外を見た図
まるでアマゾンに眠る神殿だ。

P4120249_R.jpg


石切場跡等以外にも道沿いを注意して歩けば随所に石垣等を見つける事ができる。

P6210027_R.jpg

P4270028_R.jpg


また坑道を探し道無き道を進まずとも、この飯場周辺でも狸掘り跡を見ることができます。
林道沿いから普通に見えるので弥彦山に登山される際には探してみるのも一興かも。

P5100264_R.jpg



最盛期には
鉱夫 135人 堀子 50人 
支柱夫 4人 運搬夫 20人

精錬夫 20人 精鉱夫30人 坑外運搬夫30人

合計267人

多くの人間が暮らし、大いに賑わった飯場跡が登山道の傍らにヒッソリと存在する。
自分のような物好きでなくとも、登山の際に少しでも多くの人にその息吹を感じて貰えれば鉱山も嬉しいのではないでしょうか。
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