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旧近衛師団指令部庁舎(現東京国立近代美術館工芸館)

2015.01.15.Thu.23:27
東京の中心部。
いや日本の中心と言っても過言ではない皇居に隣接する「北の丸公園」の園内にある「現東京国立近代美術館工芸館」はかつて皇居と天皇を守護する近衛師団の司令部庁舎だった。

名前の響きからしてカッコイイ近衛師団とは、一般師団と異なり、禁闕守護の任から衛戍地こそ東京なものの、連隊区といった特定地域からの徴兵によるのではなく全国から選抜された兵によって充足されており、近衛兵になることは大変な名誉であった。
最精鋭かつ最古参の部隊なのだ。


東西線「竹橋駅」から5分ほど歩いて行くと、そんな最精鋭の部隊を明治期に率いた北白川宮能久親王の像が迎えてくれる。
個人的にはこの時代の兵装が一番格好いいと勝手に思う。

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そしてお待ちかねの近衛師団指令部庁舎!!
簡素ゴシック様式、イギリス積み赤レンガ造り、屋根は建築当初のストレート葺。
丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に失われていくなかでも官庁建築の旧規をよく残す貴重な建造物。

普段は変な穴に頭突っ込んだり山で泥や砂にまみれたりしているけれど、こんな場所もいいものだ。

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場所はコチラ


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今すぐにでも内部に突入したいところだが、まずはこらえて外観の探索をしよう。

建物下部の通風口は陸軍の星の意匠をモチーフとした枠がはめ込まれている。

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当たり前のようにして陸軍=星や桜だったけど、理由を知らなかったので調べてみた。

「近代化が進み陸軍では明治33年の「陸軍服制」で軍帽に星の刺繍をつけることが決まる。
これは弾除けのおまじないとして星マークを使っていた西洋の軍隊を真似たと推測される。魔除けの晴明桔梗と相まって日本人には受け入れやすかった。」

とのことです。



窓枠も木製で当時の名残を感じることが出来る。
イギリス積みの煉瓦が美しい。

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排水管1つとってもその曲線美や色彩に惚れ惚れとしてしまう。

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金具の意匠、錆まで美しい。

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またこの排水管には面白い仕掛けが施されている。
美しい外観に沿うように作られているため曲線を描くように設置されているが、その曲線部分にゴミが詰まっても取り除けるように開閉可能な蓋が取り付けられている。

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屋根に目を移せばまた特徴的な意匠が見える。

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裏手にまで来た。
気にしていないと通り過ぎてしまいそうだが、これも当時の門の跡ではないだろうか。
でも反対側は堀?池なんだよな。当時は無かったのかな?それとも堀からの上陸用?
情報求む!

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正面まで戻ってきた。

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このように大変美しい建造物だが、やはりこれも戦争遺構。
この近衛師団庁舎でも悲劇が起きる。
1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、連合軍への降伏を好とせず徹底抗戦を主張する一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となってクーデターを企てる。
所謂、宮城事件の現場の一部がこの近衛師団庁舎である。

近衛師団長の森中将は井田中佐に決起を迫られたが、クーデターへの参加協力を拒否したため、畑中少佐から発砲を受け、更に航空士官学校の上原重太郎大尉に軍刀で斬りつけられ殺害された。
そんな悲しい歴史の現場でもある。

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それでは内部へ突入しよう。
なおこの玄関や扉も重要文化財に指定されている当時のものだ。

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当時の佇まいを残す正面階段部分。
引っ張った割に実は内部は大規模な近代化改修を受けて、当時のものは殆ど残っていない。
唯一、階段、手すり、照明が貴重な当時のものだ。

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鉄格子は当時のものなのかな?
木製のドア。

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続いて、隣接する皇居一帯を囲むように設置された高射機関砲陣地跡を探しに行くとしよう。
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