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128高地「戦闘指揮所」、「作戦室」

2015.05.10.Sun.00:58
「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づき日本軍側はフィリピンの防衛を試みるも、連合軍に敗北した戦いがあった。
史上最大の海戦とも呼ばれ、最近世間を騒がせた戦艦武蔵を始め、扶桑、山城等が没した「レイテ沖海戦」が発生した戦いでもある。
日本はこのフィリピン防衛に失敗したことにより、シーレーンを遮断され艦隊や航空機の燃料供給を断たれ十分な作戦行動すら困難になる。
またこの頃からサイパン基地から発進するB-29による本土爆撃が本格化する。

サイパン陥落の衝撃は大きく、「島嶼守備要領」や「上陸防御教令」が編纂される。
2つの文書の内容は、これまでの水際防御と反撃は、米軍の圧倒的な火力の前に不可能であると判断。
・後退配備
・地形を活かした縦深防御で対抗
・任務と地域の特性によっては内陸での決戦も認める
といったものであった。
この改定されたマニュアルによって、のちのペリリュー、硫黄島、沖縄における善戦に寄与し今回の128高地を含む本土決戦の準備にも使用されることとなる。

また、本土決戦に際しての作戦行動としては、以下のようになる予定であった。

・洋上及び泊地までの間を海軍を主体とする特攻戦力で減殺。

・主陣地線は陣地を構築しやすい沿岸部の丘陵地帯に設ける。
ここで艦砲射撃と爆撃を避けながら上陸軍の内地進出をくい止めるとる

・敵海岸堡へ重砲による砲撃を集中し、これにより海岸堡内の敵を消耗させ、かつ海岸堡の設置を妨害する。

・主陣地線にて敵を足止めしている間に、強力な打撃部隊を沿岸部後背地に集結させ、砲兵支援下、一気に海岸堡に突入する。

といった構想であった。

また後に「本土沿岸築城実施要綱」も示し、アメリカ軍の上陸する可能性が高いと予想される沿岸に陣地構築を開始する。
東京湾においても館山海軍航空隊や州ノ埼海軍航空隊、呉鎮守府101特別陸戦隊などとともに、各種特攻兵器による部隊を編成し、本土決戦に備えていた。



対するアメリカ軍の分析によれば、連合軍の上陸作戦が成功するとすれば、日本の航空兵力は10日以内にほぼ全滅し、有効な反撃はできなくなると考えていた。
こちらがその上陸作である「コロネット作戦」の作戦図。

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しかし、最終局盤の数日間にわたって、連合軍艦船及び上陸後の部隊に対して、日本軍側は大規模な自殺覚悟の体当たり攻撃するとみていた。
また房総半島の日本軍を掃討する方法としては「Dデー」の10日後に房総半島南東部の和田あるいは鴨川に、1個師団を上陸させることを想定していた。




歴史の概要は以上。
それでは状況開始!

密林を進む。

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すると、なんやかんやで博物館級の素晴らしい光景が広がる。
重要な機密保持の為、道中の様子を掲載することはできません。御了承を。


当時の扁額であろう。

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本当に本当に貴重なモノだ。
道中や坑口の画像を掲載しないのも、このため。ご了承を。

              作戦室
昭和十九年十二月竣工 中島分隊


と読める。
1944年7月22に「日本土沿岸築城実施要綱」が発令されており、この128高地は1944年12月には完成していた事がわかる。
なお、1945年4月8日に大本営は、連合軍上陸の際には各方面軍が独立して最期まで戦闘にあたることと、『決号作戦準備要綱』を示達し、一連の防衛計画を正式な作戦名「決号作戦」とした。

また扁額の「中島分隊」の文字から付近の洲ノ埼海軍航空隊の中島分隊が関わっていた事も分かる。


部屋を繋ぐ連絡道を通り、隣の部屋へ移動する。

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コチラにも同じように素晴らしい扁額が残る。

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            戦闘指揮所
昭和十九年十二月竣工 中島分隊


先程の「作戦室」と同じように1944年12月に竣工し同じ中島分隊により作られたようだ。
願わくばこの素晴らしい遺構が末永く保存されることを祈りたい。


天井部には用途不明ながら龍のレリーフが掘られている。
戦意高揚のためだろうか。見事なものだ。
これも128高地を象徴する遺構の1つ。

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近くの部屋にも扁額の痕跡のあった場所があった。

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周りを調査していると下層へ降りる階段を見つけた。

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が、残念ながら水没していた(´・ω・`)
いったいどんな景色が待っていたのだろうか。

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下層は諦め上層部へ至る道を探そうとしよう。
あれ?なんか左側崩れてね?

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おっ!

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階段だ!

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これは大変そうだ。。。踏み込むとパラパラと崩れてくる。
流石に崩れすぎだろ。

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上層部到達!
登ってきた階段と崩落した斜面。

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外の光が差し込んでる。

ここからか。
ただ落石防護網があるため外には出られない。
外から見ても、いい感じに擬装網のようになっていて坑口は見えないだろう。
でも軍事用壕の入り口がこんなに直線的でいいのだろうか。知識が足りなく分からない。

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では、先へ進もう。
左方向に見えるのが登ってきた階段。

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登ってきた階段こそ激しい崩落だったが、この周辺はそれほど酷くない。
ただ壁面が塗り固められていたのは、作戦室と戦闘指揮所だけのようだ。

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外が見えてきた。
さて次はどこに出るか。

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素敵な坑口だった。
一部崩落しているが、綺麗なアーチが見れる。

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まだ見るべき箇所も多いので、再び壕内に戻る。
例の崩落階段を下り最初の階層に戻ってきた。

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この地下壕の名物の1つでもあるセメント袋も見つけた。
70年使われず、この地下壕に佇むこれらも大切な遺構の1つだろう。

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他にも掘りかけの場所を見つけた。
棚か何かあったのだろうか。金属製の何かが置いてあったようだ。

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作戦室と戦闘指揮所のある区域から離れつつある。
壁面保護の施工もなくなり、荒々しい壁面が顔を出す。

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先に進むと銃眼が現れた!
人が立つ場所には、コンクリート製の足場まである。

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外に回りこんでみた。
これは立派な銃眼。ここが軍事遺構であることを改めて実感させられる。

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立派な銃眼を後にして再び壕の中を進む。
作戦室、戦闘指揮所を離れ、銃眼のある区域に来ると軍事遺構特有の曲がりくねった通路が多くなった。
これは、砲爆撃や銃撃、手榴弾などによる攻撃を受けた場合でも、それらを可能な限り避けるための処置。
隧道みたいに壕内が一直線だと、爆風は突き抜けるわ銃弾は入り放題で一撃で全滅してしまう。

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ここは閉塞。
右方向に何かを置いたような棚のような彫り込みが見られる。

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小さな遺留物も見つけた。

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この周辺は崩落も多く、壁面等も作戦室や戦闘指揮所のような丁寧な施工もない。
場所によっては幅も高さも相当あるところもある。用途は不明。

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随分分岐も多い。

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水没した下層部を除き、歩いて到達できる場所は全て調査し終えた。
本当に貴重な物を見れた壕だった。
手近な坑口より帰路に着こう。

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コメント
モデルさん、完全に保護色ですね♪
房総、まだまだ楽しい所が満載みたいです。
>>まこちゃんさん
これからのトレンドは保護色ですか? 笑
震洋の基地とか行ってみたいですね。
東北や北陸にはないものばかりですからね!

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