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洲ノ埼海軍航空隊 射撃場跡

2015.05.10.Sun.15:38
通称「洲ノ空」。
正式名称「洲ノ埼海軍航空隊」という全国で唯一つの兵器整備練習航空隊があり、操縦以外の航空隊に関わる専門技術を学ぶ養成機関があった。
1943年(昭和18年)に開隊した。
「洲ノ空」開隊の理由は、米軍の航空兵器の高性能化に伴い、それに対抗する航空兵器の開発、改良を求められたためである。
兵器開発の技術者だけでなく、高度になってきた航空兵器を管理、整備する兵士の養成や訓練が急務となり、多い時には1万数千人が「洲ノ空」で学んでいたという。
先の128高地の建設に携わったのも、この洲ノ埼海軍航空隊の中島分隊だ。


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NPO法人 安房文化遺産フォーラム 「戦争遺跡」より


長い年月という最強の擬装に妨害され、遠目ではその姿は全く視認できない。

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取り敢えず田んぼの畦道を進んでみる。

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樹木に妨害されて直前まで見えなかったが、突然そいつは姿を表した。
コンクリートに巻き立てられている。
この穴に向け機銃の射撃を行い、弾着位置等の調整を行ったのだろう。
確か、映画パールハーバーでも弾着位置調整をやっているシーンがあったと思う。

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中に入ってみる。
天井には跳弾と思わしき跡があった。

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最深部。
どこかに7.7mmか12.7mmか20mm等の弾頭があるかもしれない。
終戦直後は付近に7.7mmの弾丸が落ちていたらしい。

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最深部から開口部を見下ろした図。
人と比較するとその大きさがよく分かる。

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これらが等間隔で5つ並び、幅6メートル前後、高さは5・6メートル。
100メートルほど手前まで館山海軍航空隊から誘導路で零戦を運び、試射したとのこと。
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