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旧陸軍歩兵第四連隊兵舎・旧アメリカ進駐軍キャンプ・ファウラー

2016.01.30.Sat.22:12
杜の都のサクラの名所として有名な「榴岡公園」。
こんな場所にも戦争遺構が存在する。

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まず、再開発で発展著しい仙台駅東口を出る。

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宮城野通り、別名イーグルロードを10分程歩くと「榴岡公園」に到着する。
余談だが、この宮城野通り東端周辺は、陸上自衛隊・霞目飛行場の制限表面による高さ規制があり、高層ビルが建てられない。
更に「景観条例」により定禅寺通と同様、沿道ではビルの建設や広告の掲示などに様々な規制がなされている。
宮城野通り-ウィキペディア


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場所はコチラ。




公園内を歩き、旧陸軍歩兵第四連隊兵舎跡(仙台市歴史民俗資料館)を目指す。
その途中、正面に歩兵第四連隊営門があった場所がある。
当時の地図と位置関係的にこの辺りで間違いないはずだ。奥にチラッと本題の兵舎跡が見える。

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この営門付近にこの地が軍事施設であった事を物語る重要な碑と標柱が残る。

まずは「陸軍省所轄地標柱」
この碑の西側が「躑躅ヶ岡公園」、東側が「旧第歩兵四連隊」であり、その境界を示していた。

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その隣に「歩兵第四連隊之跡」碑がある。

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見難いだろうが、碑文上部横文字の「至誠無息」は旧第二師団長・旧陸軍大将の岡村寧次により書かれている。
そして目に付く大きな縦文字で書いてある「歩兵第四連隊之碑」は仙台生まれの旧陸軍大将の今村均によって書かれている。

またこの碑は1960年9月9日に建てられたとの事だが、この日付は9月の節句であるというだけでなく、明治8年9月9日は歩兵第四連隊に軍旗が授与された日であり、軍旗祭が行われる日であった。

余談だが第2師団繋がりの話で現在の仙台駅西口前の「南町通り」の別名を「多聞通り」という。

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これは満州事変後の1933年に満州に駐留してた陸軍第2師団(師団長・多聞二郎)が仙台に帰還した際にココを通ったためそう呼ばれている。

完全に話が逸れた。


「陸軍省所轄地標柱」「歩兵第四連隊之跡碑」の詳細な位置は以下の通り。
営門は碑に面する道周辺。




碑を背に営門があったと思われる場所を東側に進むと本題の「旧陸軍歩兵第四連隊兵舎跡」が見えてくる。
市民が自由に思い思いの時間を過ごしているマッタリした空間。

この芝生付近自体も実は軍事遺構の一つで歩兵第四連隊の営庭なのだ。

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そして、これが
「旧陸軍歩兵第四連隊兵舎跡」、現・仙台市歴史民俗資料館
宮城県内最古の洋風木造建築で1978年6月16日に仙台有形文化財に指定された。
この旧歩兵第四連隊兵舎は1874年9月の完成とみられ、1945年8月まで約70年間陸軍が使用し、戦後は1956年まで米軍が駐留しキャンプ・ファウラーとして使用した。

その1975年まで警察学校として使用された。榴岡公園整備に伴い1977年に6棟が解体され、この1棟のみを東側に移築し、当初の外観構造に復元保存された。

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木造二階建て寄棟造瓦葺。
布基礎は安山岩の切石積、壁は漆喰塗りで、建物の片隅にコーナーストーンを装飾し、ガラス入り上げ下げ窓や洋風円柱のポーチ、雲形の彫刻を有する階段等の特徴がみられる。

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説明板。

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当時の絵図。
先程見てきた営門付近の様子も分かる。

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以下の地図は1927年頃の仙台市の地図の一部。
地図を見て貰えば分かるように、仙台は軍都であった。今後探索のし甲斐があるね。やったね!たえちゃん。
中央右の30番が步兵第四連隊兵舎で現在立っている場所になる。

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画像出典-新光社「日本地理風俗大系 第4巻」


それでは、前置きが長くなったが建物内部へ突入。
資料館内部の写真は許可を得て撮影しました。

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受付で入館料を支払う。
受付近くにも建物の古さを感じさせる素晴らしい張り紙が。
不便にこそ感じれど喜ぶのは一部の変わり者くらいかもしれないが。。。


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入って正面に見える階段。
思い出したのは旧近衛師団指令部庁舎(現東京国立近代美術館工芸館)
東北の師団と東京の近衛師団を比べてしまってはアレかもしれないけど(´・ω・`)

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センスと時代を感じる装飾。

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第2師団関連以外にも大変魅力的な展示物で溢れていた。今後の探索に役立ちそうなモノばかり。
むしろ展示物としてはそっちがメイン。

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しかし!
今回の記事はあくまで歩兵第四連隊。我慢だ我慢。
戦争遺構関連に限って紹介します。今後は仙台関連にも力を入れる予定なので、後ほど。

米軍関連の遺構も調査していきたい。

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中々興味深い。
占領期の仙台の通りの英語名一覧。

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そして館内の一角に「歩兵第四連隊」に関する展示がある。+(0゚・∀・) + ワクテカ +

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歩兵第四連隊兵舎だった当時の内務班のようすを復元展示している。

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ちなみにコチラが当時の写真。
よく再現されている事がわかる。

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1975年に撮影された第四連隊兵舎。
取り壊される2年前の写真。他の兵舎などの様子がよくわかる。

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冒頭に載せたがコチラが1875年の兵舎の様子。

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これまた貴重かつ大変興味深い資料。

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説明板にもあるように「四式肉薄攻撃艇」を使用し、戦闘を行う海上挺進戦隊のほかに、後方支援にあたる海上挺進基地大隊と複数の挺進戦隊や基地大隊を統括指揮する海上挺進基地隊本部が編成され、海上挺進基地隊を構成した。


【四式肉薄攻撃艇〔通称:マルレ〕】
全長5.6 m、全幅1.8 m、喫水0.26 m、満載排水量約1.5 t、主にトヨタ自動車と日産自動車製の60馬力程度の自動車用エンジンを搭載したモーターボートで、艇体後部に250 kgまたは120 kg2個の爆雷を装備していた。最高速力は23~25 kt、航続時間は3.5時間。装甲はなくベニヤ製であった。緑色の迷彩塗装を施したために、実戦部隊で名づけられたアマガエルの通称・愛称をもつ。甲一型、甲三型、甲四型のサブタイプがあり、約3,000隻が生産された。

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有名な海軍の「震洋」とは異なり、元々特攻兵器として開発されたものではなかった。計画当初は水際防衛を海軍に任せるのではなく陸軍自らの手で行うという発想のもとに、敵上陸船団に対し側背から大量の舟艇による奇襲によって攻撃をかけるという着想の元に開発された兵器である。
四式肉薄攻撃艇ーウィキペディア

イマイチ自分の持つ資料だけでは、宮城にある四式肉薄攻撃艇や震洋の所属部隊のような詳細が分からないので、調査を要するが少なくと東京湾や浦賀水道に数多く見られるような基地が宮城周辺にもあったのは間違いないだろう。
この辺りも今後は是非調べたい。


次は仙台空襲に関する資料。
これらに関しても宮城の防空壕や防空砲台、空襲の痕跡など調べて行きたい。

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雪がなくなり次第、調査に入りたい不忘山に墜落したB29の残骸。
アレもしたいコレもしたいもっとしたいもっともっとしたい。待ってろ不忘山。

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一通り見たかったモノは見れた。
建物自体が素晴らしいので、歩いているだけで楽しめる。

美しい上下窓。

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旧歩兵第四連隊兵舎、現・仙台市歴史民俗資料館はこれで以上。

実は写真や住所を掲載しないとの約束で凄いものをとある場所で拝見させてもらいました。
ご迷惑をかけるので場所やモノを言えないのはもどかしいけど、熱心な人ならきっと辿り着けるだろうし、その内ドコかで公開展示されるのではないでしょうか。


続いて榴岡公園にひっそり潜むらしい碑を探しに出掛ける。
中々見つからず探しまわって公園内を相当ウロウロしたのは内緒(´・ω・`)

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苦労したぜ。
「梅の園碑(石原莞爾を偲ぶ碑)」

旧陸軍第四歩兵連隊長であった石原莞爾によって、1934年3月25日に植えられた梅の木の一部が現在も見ることが出来る。
そう、あの石原莞爾、関東軍参謀として満州事変を起こしたあの石原莞爾。

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色々な意味で有名な石原莞爾ではあるが、貧しい東北出身の兵が満期除隊後に生活の一助となるよう、厩舎でアンゴラウサギの飼育を教え、除隊する兵に土産として持たせた。また内務班の私的制裁を撲滅するために、同じ出身地同士の兵を中隊に集めた。連隊長自身が、兵食を食べて食事内容と味の向上を図り、浴場に循環式の洗浄装置を設置して清潔なお湯を供給し、酒保を改善するなど、兵士の生活改善に尽力したといわれる。

それらのエピソードを裏付けるように、碑文によれば、石原莞爾が1933年8月から2年間、この地に歩兵第四連隊長として在任し、連隊諸兵の栄養源また非常食として梅200本が植えられたこと、旧歩兵第四連隊跡地が仙台市民の公園として開放されたことを記念して碑を建立するとある。

ん?・・・栄養源また非常食として梅200本。。。栄養源また非常食として!

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近所の仙台市民が「綺麗な梅だね~」と話してるような梅がまさか非常食とは!
なんかよく聞くような話な気がしないでもないが、いや、やはり驚きだ。
こんな日常の隣りに潜む非日常な話大好きだ。

最後に、自分と同じような物好きな方が公園内をウロチョロしなくていいように碑の位置座標を記しておく。
誰かの探索の一助になれば幸いだ。





【参考資料】
仙台市教育委員会・仙台市歴史民俗資料館  「仙台の戦争遺跡 2008」
学習研究社 「本土決戦-陸海軍、徹底抗戦への準備と日本敗戦の真実」
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No title
足跡からコメントいたします。
歴史民族資料館は近隣にいながら未到達です。
お陰で内部のことを少し知ることができました。
画像を見て、海上挺進基地隊は東松島の宮戸島の洞窟がこの場所だったかな…と。
不忘山に墜落したB29は3番機が硯石コースの中央に鉄くずが散在しています。
1番機、2番機は藪の中でルートがありません。
石原莞爾、賊軍となった庄内出身の天才、思想のない東條と国家の設計図があった石原だと昨年発刊された「賊軍の昭和史」に書いてありました。それでは。
No title
>>maro7さん

コメントありがとうございます。
調査が転じて最近普通の登山をはじめまして、ちょうど亘理地塁山地について調べていたところmaro7さんからのコメントがあり驚ききました。
宮戸島に震洋攻撃隊がいたのは知っていたのですが、陸軍のマルレに関して中々文献をあさっても出てこないですね。。。

不忘山も雪がなくなり次第、調査に行こうと思っています。情報ありがとうございます!
亘理地塁山地や万世大路などmaro7さんの記事、大変興味深く楽しく読ませていただいてます!
No title
初めまして、蔵王在住の老人Zと申します。
不忘山で検索しおりましたら、こちらのサイトにたどり着き、ちょっとお邪魔してしまいました。

不忘のB-29には昔から興味があったのですが、昨年「不忘平和記念公園」が出来たのがきっかけで資料を調べたり模型を作ったりしてたのですが、地元に居ながら一度も登った事が無く、意を決して昨年の11月に1番機の墜落現場に登って見ました。現場まで私の体力では2時間半程掛かりましたが・・・
現場には真っ赤に錆びたM69クラスターのフレームと思われるパーツが無造作にモニュメントとして置いてありました。
歴史民族資料館に在るような大きな破片などは見当たらなかったですが1円玉位のアルミ片など未だに見つけることができました。

今年の蔵王は雪が少なかったせいもあって不忘の1番機墜落現場にはもう登れる状態にあるので5/2は天気も良いみたいなので、行ってみようかなと思ってます。
No title
>>老人Zさん

初めまして。コメントありがとうございます。

私も不忘山の件は以前より大変興味があったのですが、中々他の調査等を言い訳に足が運べなかったので今シーズンは是非と思っています。
資料のみならず模型まで作られるとは熱意が凄く伝わってきます!
自分もなんとか当時の痕跡を見つけたいものです。

資料と言えば、自分も不忘山墜落について大変詳しい方から教えて頂いたのですが、「翼下の記憶 1945 仙台空襲と艦載機空襲」という本が仙台空襲について詳しく記述されていて凄く良かったです。

今後もお互いに何か有用な資料や面白いモノの発見など情報交換などできましたら幸いです。




No title
>>老人Zさん

上記にある本ですが、不忘に直接関連するものではありません。
ただ不忘の件とは別に、仙台空襲や宮城の戦争遺構についての記述が良かったため記載しました。
誤解を招きそうなオススメの仕方で失礼致しました。

直接不忘に関することは、当時の作戦任務報告書などを読むのが今のところ一番かもですね。
また既にご存知かもしれませんが、一般に販売されてる資料としては加藤昭雄氏のものがありますよね。
No title
ずんだ様、本の情報ありがとうございます。
何か面白そうなので、早速、町の図書館で借りたいと思います。
58BWのB-29作っちゃうかも・・

加藤昭雄氏の本は入手出来なくて、町の図書館で借り拝見しました。
十分に調べ上げ素晴らしい内容でしたが、現在の墜落現場からの情報とかが、ちょっとあっても良かったんじゃないかなと思いました。

明日の登山は天気がはっきりしないので、3日になるかもしれません。
No title
不忘の3機のB-29について

元々、半世紀近くプラモデルの製作が好きで、特に米軍の爆撃機のノーズアートには興味があり、不忘に落ちた1番機「cherry
the horizontalcat」にはどんなノーズアートがあったのか手持ちの洋書の写真集やネットで調べていたりしたのですが、結局写真は発見できませんでした。314BW自体3/9の作戦が2回目ということと、グアムに展開始めたころの29BGのシリアルナンバー1番違いの42-63565の写真を見ると何もマーキングされて無いので、42-63564もニックネームだけが存在してたB-29だったんでしょうね。

2番機の42-65310は3/10硫黄島に不時着した機体同様、垂直尾翼の先端のAのマーキングがされてたと思います。

それと3番機の73BW 498BGの44-69747コーズマイアー機のテールコードナンバーはT-スクエアー15だと分かりました。
No title
>>老人Zさん

中々天候のはっきりしない連休で山への出撃タイミングが難しいですね。
当時の機体に描かれたノーズアートは戦意高揚だけでなく上空での機体識別も兼ねていた可能性もあると本で読んだことがあり、そちらの方面も中々興味深いです!

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