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八幡鉱山(鳴子 潟沼)

2016.06.10.Fri.22:49
宮城の温泉と言ったら作並、秋保、鳴子あたりが定番だろう。
今回、普通の旅行で鳴子温泉へ行ったので途中脱走を企ててぷち探索行ってきました。

舞台は鳴子温泉からクルマで10分ほどの「潟沼」

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正直、観光地としてはあまり知られていない潟沼。
まずは、その潟沼とそこにあった八幡鉱山のお勉強から。

~潟沼~
鳴子温泉源の一つといわれるが、面積14.55ヘクタールで、海抜306メートルにあり楕円形状をなしている。
深さは3~4メートルで、湖底からたえず湧出する熱泉ガスや水蒸気のために最寒期でも凍らないところがある。
底には大量の硫黄が泥土と共に沈殿して、その中には珍しい硫黄を喰う藻などもいる。
また酸性が強くpH1.4を示し、我が国最強の酸性湖で、800mg/l以上の硫酸イオンが溶解している。
戦後は、湖底の泥土を原料とする硫黄精錬がさかんであったが、化学工業の発展にともなう副次的な硫黄の生産がなされてから事業が中止されている。
引用 鳴子町史




悪天候の中の探索。
後述するが、採掘法的に「穴」関連の遺構は期待できないが、取り敢えず湖畔を一周してみる。

早速、硫黄感全開!

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周囲は硫黄の匂いに包まれている。

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~潟沼における硫黄鉱業の沿革~
硫黄鉱山は霊場視され、明治以前には本格的な採掘は行われなかったが、明治26年頃、東京の高松金次郎が村民の意思に反し、鉱業法によって硫黄鉱採掘製錬を始めた。その際、鉱夫が亜硫酸ガス中毒で死亡し、また煙害により周囲の老松枯損したことから人皆湯神の祟りによるものと恐怖し、作業員は全く就労に応じないため遂に事業を閉鎖するに至った。
その後、明治大正、開業と閉鎖を繰り返す。

昭和26年3月に鳴子硫黄株式会社を設立して採掘と製錬を開始した。

昭和26年調査による潟沼硫黄鉱量
採掘(鉱石) 月2280トン
乾量 年27000トン
製品(硫黄) 年5400トン

その後、次第に鉱量の減少と需要の減少から、昭和33年7月31日に解散。

昭和34年11月1日、鳴子鉱業株式会社を設立。
3機稼働で年産1500トンをあげたが、次第に生産と需要が衰微し、また潟沼の観光的復元の声も高まり、遂に昭和43年12月末日をもって閉鎖した。
引用 鳴子町史




先へ進もう
雨は雨で音や匂いを楽しめて好きだ

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湖面は静かなもんだ。

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豊富な硫黄が沈殿していたらしい湖
覗いてみたけど。。。気持ち黄色い?

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道を進むと砂場が見えてきた。
事前調査では碌な情報を得られなかったため、なんでも遺構に見えてくる。

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取り敢えず砂場探索。

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おおおお!

碍子発見!!(鉱山と関係あるか時代も不明だがそこは触れない)

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近くに道を逸れ斜面を上がっていく鳥居と踏み跡を見つけた。
神社好きとしましても良い雰囲気。
怪しい場所は取り敢えず突っ込んでいくスタイル≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡c⌒っ゚Д゚)っ

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斜面を駆け上がる。

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祠があった。

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小さいながらひっそり沼を守る神様を見れて満足.
鉱山に関係あるかは不明だが時代的に鉱山の稼働時も見守ってきた事だろう。


沼を一周する道路に戻ってきた。
もうすぐ一周し終わる。

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ん?
んんんん?


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なんだこれ??

鉱山か現役鉱山なのか??


とはならない。
恐らく温泉関連の設備だろう(´・ω・`)

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見てて飽きないが、鉱山とは関係ない以上仕方無い。
撤退しよう。

そういや駐車場の近くにお店が1軒あったな
望み薄だけど一応聞くだけ鉱山の話聞いてみよう

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ガラガラガラ
「スミマセ~ン ここに昔鉱山があったそうなのですが何かご存知ないですか?(要約)」

レストハウスの店員さん「あ~アレね。あの広くなってる場所で製錬してたんよ~」

へぇ~

「え?」

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どどどどドコですか!?

おじさま「ちょっとついておいで」

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おじさまが説明してくれた事をまとめると以下の通り

・大船を浮かべ湖から硫黄を取っていた
・蒸気の出てる場所で精錬していた
・三菱鉱山が関係してた
・埋まってたり沈んでる煉瓦を見てみれば企業の刻印が残ってる



レストハウスの方々貴重な証言ありがとうございます!
次は天気の良い日に伺います!

それでは教えて頂いた事を踏まえて再調査!

証言によればここらで製錬をしていたとのこと。
精錬所跡地を利用して現在の施設を立てたのだろうか。

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少しの痕跡も見逃さないよう必死でキョロキョロする。

おっ!!


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怪しい。。。

表面の被ってる土をはらってみる

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SHINAGA


ん??
他の場所も調べてみよう。

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<S.S>
SHINAGAWA



これは!!

冒頭の歴史の概略では省略した箇所を含め明治~昭和初期以降の開業と閉鎖を繰り返した歴史をもう一度見てみよう。

明治29年に至り東京芝区の押野貞次郎が採掘権を習得し、乱掘によって精錬をなし、沼に土砂を投棄したため水深が浅くなり、鷲の巣湯が閉止するという事態が起こった。
このため鉱業は長続きしないまま再び閉鎖した。

昭和26年3月に鳴子硫黄株式会社を設立して採掘と製錬を開始した。

昭和34年11月1日、鳴子鉱業株式会社を設立。
3機稼働で年産1500トンをあげたが、次第に生産と需要が衰微し、また潟沼の観光的復元の声も高まり、遂に昭和43年12月末日をもって閉鎖した。




そして、<S.S>SHINAGAWAのマーク。
これは現在は品川リフラクトリーズ株式会社。
当時であれば品川白煉瓦株式会社の製造した煉瓦のものである。

当然、この煉瓦の製造時期を特定できるものは無い為、これが鉱山稼働時のものである証拠はない。
しかし、精錬所があったとされる位置に多数埋没していること等から当時のものではないかとワクワクできるだけの物である事は確かだ。

よく観察すると地面や水中にも煉瓦が散乱している。

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別の刻印を持つ煉瓦も見つけた。

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ただ。。。なんて書いてあるか読めない(´;ω;`)ブワッ
求む読める人。。。向きもあってるかよくわからない。

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坑道が有る訳でも、巨大遺構が残っている訳でもないので県内でもマイナー鉱山だが中々楽しかった。


【参考資料】鳴子町史
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