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蠣崎稲荷神社(蠣崎稲荷大明神)

2017.03.01.Wed.21:28
青葉城の崖下にひっそりと隠れているような好みの神社な匂いを感じ森へ分け入ってみた。

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お散歩していたのは、仙台の川内追廻地区付近。

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本命の川内追廻地区の探索を終えて、適当に歩いていた時にその神社を見つけた。
崖下の森に吸い込まれるように鳥居が立っている。

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それでは崖下の森に向かってみよう。
鳥居と狐像があった。

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鳥居をくぐり進んでいくと、すぐにまた鳥居が現れた。
最初のものより古いのかちょっとボロい。

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崖に沿って森を歩いていく。

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すると崖に向かうように曲がる参道を歩くと鳥居と階段が現れた。

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鳥居をくぐるとちょっと凄い光景が広がっていた。
崖と巨木と祠の迫力に驚いた。

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実はこの神社。
伊達政宗の馬を祀っていた神社だったそうだ。
伝承で言われている神社の一般的な由来は以下の通り。

伊達政宗の愛馬であった「五島(ごとう)」
伊達政宗は大阪夏の陣に出陣する際、高齢を理由に五島に留守を命じる。
五島はひどく悲しみ、もう役に立てないのならと仙台城本丸の崖から身を投げ自ら命を絶った。
よってその地、蠣崎に奉り追廻馬場の守護とした。

馬上蛎崎神社説明板参照


「だった」というのは東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯。
後に鎮台制が師団制にかわり第2師団が設置される事になる訳だが、蠣崎稲荷神社のある川内追廻地区は射撃場や練兵場、競馬場などとして利用された為、明治4年(1871年)に現馬上蛎崎神社へ移設されたからだ。

馬が自殺した伝承の所以や神社を建立する程の理由はなんだったんだろうか。


さて祠を覗いてみる。

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祠の左手には石碑があり、「蠣崎大明神」、「五島馬頭観世音」と書かれていた。
五島とは先程の伊達政宗の愛馬の事だろう。

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祠の右隣には小さな祠もあった。可愛い。

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神社を出て周囲を見回すといま個人的に最近熱い地名付きの「木製電柱」を見つけた。

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蠣崎稲荷神社の場所はコチラ

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